医療法人たばた小児科
〒355-0153
埼玉県比企郡吉見町久米田616-8
0493-54-8822
医療法人たばた小児科
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18歳から過ごした前橋市から、故郷の吉見町に戻って「たばた小児科」を開院したのが、1994年10月3日でした。早いもので31年が経過しました。
私は小学3年生から中学3年生まで、しばしば扁桃腺を腫らして高熱を出していました。近くに小児科がなかったので、小川町にある小川赤十字病院まで1時間以上かけて通院していました。
待合室では高熱で辛い中、ふうふう言いながらも緊張して、診察の順番を待っていたのを覚えています。
いよいよ名前を呼ばれて診察室に入ると、そこには40歳くらいの男性で松田という名前の小児科医が、ニコニコ笑みを浮かべながら待っています。そして、「田端君、今日はどうした?」と尋ねてきます。私が「先生、喉が…。」と言うと、診察を終えてから、「よし、私が日本一いい薬を出してあげよう。」と私の顔を見ながら優しく、かつ力強く言ってくれるのです。
その瞬間に、私の喉の痛みも熱も、不思議と和らいだ気持ちになったのを、今でも鮮明に覚えています。
この、松田先生との出会いが、私が医師になろうと決心し、さらに専門として小児科医を選択した、大きな理由の1つであるような気がします。
群馬大学医学部の6年間は、ソフトテニス部の活動に多くの時間を注ぎ込みました。みんなで勝つことを目指す部活なので、楽しいことも多かったですが、レギュラー争いも激しく、多くの人間がいるため、考え方や価値観の違いなど、時間をかけて皆で考え、話し合って解決を導くというような場面もたくさんありました。
ここで、自分の意見を主張するだけでなく人の意見をきちんと聞くこと、気持ちを思いやることなど、人間として大切なものを数多く学びました。
医師になり、将来の自分の道を考えたとき、小児科が少ないため遠く小川町まで通院せねばならなかった地域の実情に思いを馳せ、故郷の吉見町に戻って、地域の皆さんのかかりつけ小児科医になりたいと、素直に思いました。
ソフトテニス部で培った体力を武器に、医師になってからは必死に研鑽を積みました。論文も多数執筆し、学会発表も多数行い、博士号も異例の速さで取得することができました。後輩の指導もひと段落したところで、故郷に戻ろうと決心しました。
私は小児循環器が専門です。生まれつき心臓に異常があり、現代の医学をもってしても救うことのできない子どもたちをたくさん診てきました。予想だにしなかった病気を持って生まれてきた我が子に絶望し混乱し、それでも次第に現状を認識し立ち直っていく家族と患児たちから、私も多くのことを学ばせていただきました。
冷静さを失わずに説明をすることが難しい場面も多くありました。心の中では涙を流しながらも辛い選択を家族に迫らなくてはならないこともありました。
そのような場面で、心を強く持ち、家族の皆さんと心を通じさせることができたのは、ソフトテニス部で培った人間関係をはじめ、子供の頃からいろいろな人たちとの人間関係を積極的に築くために努力を重ねてきたことの蓄積が、私の財産となり大きな力になってくれたからだと思っています。
体に病気を持っている人は、心にも不安を抱いています。患者さん本人のみならず、家族の皆さんもです。
たばた小児科に来られる方々には、体と心どちらの病気も改善させる手助けをしたいと思っています。そのためには、笑顔の挨拶、目をきちんと合わせながらの説明、その他さまざまな細やかな気配りが非常に大切です。
もちろん、日進月歩の進歩を遂げる医学知識の習得に努め、適切な診断、検査、処方などがしっかりと行われていることが必要不可欠であることは、言うまでもありません。
人間は一生が勉強だと思っています。たばた小児科も32年目に入りましたが、慢心することなく、さらにより良い医療を地域の皆さんに届けられるよう、職員一同努力を続けていく所存です。
小川赤十字病院小児科の松田先生ですが、40歳代で開業されたものの、まもなく病でこの世を去られたとお聞きしています。本当に残念です。
僭越ですが、松田先生の分まで、地域医療の質をさらに向上させられるよう、頑張っていきたいと思っています。
たばた小児科を、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
診療室はお子様の読み物やプレイスペースがございます。
安心してお越しください。


